プロフィール

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初めまして!

当ブログを運営しているひろたんと申します。

年齢:37歳

在住:福岡在住(出身も福岡)

職業:地方IT企業の人事担当

社会人歴:14年目。転職2回

家族:妻と娘二人

乏精子症と診断され、自然妊娠は絶望的、人工授精もかなり厳しいという結果にショックをうけつつも、約2年間の不妊治療の末、娘を授かることができました。

来歴

生れ~大学卒業まで

福岡県に生まれ、高校時代まで都会とも田舎とも言い難い都市で過ごしました。

その後、九州の大学を卒業し、東京の100名規模のIT企業に就職しました。

今思えばとんでもない会社に就職してしまった。

就職(東京)

SE(システムエンジニア)として入社したが、社長に気に入られ、本社勤務になってしまいます。

法人向け社内システムの開発を行っていたので、基本的に社員は客先常駐で勤務し、本社勤務は入社当時、私含めて6名しかいませんでした。(うち役員が3名)

そんな中、採用業務や新入社員教育、社内開発を兼務しながら、4年程で主任になりました。

主任になった頃は、部下もでき、本社勤務は10名程に増えていました。

その間、結婚し、仕事もプライベートも順調かと思っていました(当時は)が、全然そんなことなかったんですよね。

とんでもない上司がいたため、徐々にプライベートを侵食され、仕事と私生活の境がなくなっていきました。しかも、その上司はすぐに癇癪を起し、仕事を放棄するため、いつも顔色をうかがう毎日。何をするにもその上司の承認が必要になるので、機嫌を損ねると仕事が進まない。社長も上司には何も言わず、私に何とかしてと頼む始末。「終わってんなこの会社!」と何度思ったことか。それでも、何とかしたくて一生懸命頑張りましたが、頑張り過ぎました。

上司は妻に対して攻撃してくるようになり、妻をかばう私を非難してきました。精神的に追い込まれ、徐々に正常な判断ができなくなっていました。最終的に私が会社に軟禁され家に帰らなくなったため、見かねた妻は離婚を決意し、妻が雇った弁護士から連絡がきました。

私は妻と離婚したくなかったため、なんとか妻と連絡を取り、会社を辞めることにしました。

そして、地元の福岡に転職しました。

退職後も会社が退職金を払わないため、裁判になったりと大変でした。

退職願の提出と共に1ヶ月の有給をとり辞めましたが、引継ぎもできる限り行い、有給中の1ヶ月も質問等に対応したにもかかわらず、払わないとか有り得ないんですけどね。

因みに、担当してくれた弁護士先生は妻からの離婚の申し出を連絡してきた先生です。離婚についての誤解が解けたため、妻よりも私がお世話なってしまいました。本当に妻と先生に感謝です!!

転職(福岡)

1回目の転職は、実家から通える福岡のメーカー企業でした。

SEで入社した前職では、採用等の総務業務がメインだったので、SEで転職するよりも自身の経験が生かせると思いました。

しかも、前職ではとんでも上司の指示で、社員に対しかなり酷い対応もしており、それが本当に嫌でした。社員と会社が良い関係を作れなければ会社として成長はないというのが、私の持論です。実際、前の会社では、上司が実権を握るようになり、社員に対する締め付けが厳しくなり、社員と会社の間に軋轢が生まれ、退職者が増加しました。それに伴い、売上・利益が悪化しました。

退職については、働きたいと思わせることができなかった会社に問題がありますし、そもそも合う合わないがあります。だからこそ、管理側はなぜ退職が続く場合はその原因をしっかりと調べて、対策しなければいけません。それが、できる会社を探そうと思いました。

実際、転職した1社目はオーナー社長の権力が強く、「辞めるやつが悪い」という考えだったため、何もできませんでしたが…

オーナー社長とのそりが合わず、3年ほどで転職しました。

今は、福岡のIT企業で働いています。

福岡に転職して、当初は東京の頃と比べ年収は3分の2になってしまい、妻は妊活に専念するため、専業主婦となったことで、世帯年収はマイナス1000万円という大変なことになりました。

家計を見直し、生活レベルを下げることで何とか乗り切りました。今は年収はほぼ戻りましたが、妻は働いていないので、世帯年収は東京の頃に比べ半分以下ですが、生活習慣やお金の使い方を見直せたことで、子どもが二人いても何とか生活できています。

子どもができないことの衝撃の事実

2018年4月にようやく妻も福岡に来ることができたので、本格的に妊活を始めようと不妊治療を専門に扱っているクリニックに相談にいきました。

不妊の原因は、男性50%、女性50%です。

当然僕も検査を受けました。

検査の結果、乏精子症と診断されました。しかも、重度ということで、今の状態だと自然妊娠はほぼ不可能で、人工授精も難しい値でした。

診察結果を先生が話している途中、妻が泣きだして、すごい申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

ただ、精子の数は、かなりの変動があるので、「その日がたまたま少なかっただけでは?」という希望を捨てきれず、なかなか現実を受け入れることができませんでした。

婦人科クリニックで男性不妊専門のクリニックを紹介してもらい検査しましたが、結果は変わらず。

現実を受け入れるしかありません。精密検査をしてもらったことで、原因も特定できたので、自分と向き合い、今は前向きに不妊治療と向き合えています。

たまに落ち込むこともあるけど、妻と一緒に妊活に取り組んでいます。

今後の目標

最終目標は働かずに生活することです。

これまで、妻はシフト制の勤務だったため、休みが合わず、ほとんど一緒の時間を過ごせていません。その上、1年以上別居生活が続いてしまい、結婚して4年経ちますが、実質普通の夫婦の1年分くらいしか一緒の時間を共有できていない。妻にはかなり大変な辛い思いをさせてしまいました。

妻とずっと一緒にいる為には、サラリーマンでは駄目だという結論になりました。

家族で会社を立ち上げ、最小限の労力で働くしかない。

目標のための第一歩がこのブログです。今後僕が実施していくことはこのブログで報告していきます。